人はどのようにして自分の価値を決めているのか。

 

自分の価値は何で決まるのか。

 

価値なんてない。

 

価値がある・ないで判断するものではない。

 

考えたことがない。

 

様々だと思う。

 

 

最近、自分の価値についてよく考える。

今までは次の指標で自分の価値を決めてきたように思う。

 

・職業適性テスト

 

・性格テスト

 

・自分に何ができて・できないのか。

 

・自分に何があって・ないのか。

 

・自分で様々な状況から決めている。

 

・他者から自分のことを価値を良い・悪いと言われた。

 

 

自分で自覚していたり他者から言われたり何らかのツールを使って「目に見えない価値」を目に見えるものにして指標とし努力してきた。

 

 

これらのツールはとても役立つ反面、自分が思っている結果とそうでないときに「価値」が揺らぐという脆さも持ち合わせていると思う。

 

例えば、弁護士になりたくて職業適性テストや性格テストを行うとする。

その結果、「適正」ではないと出たとする。

 

あなたならどうするか。

 

①適正ではないのだから諦める

 

②適正でなくても努力する

 

どちらにせよ、「適正ではない」とでたときに自分の「価値」が揺らぐのではないだろうか。

 

すぐ立ち直る人もいれば、自分を否定し傷ついてしまう人もいる。

 

「この差はなんなのか」

 

わたしは、「自分が自分でいることを否定されたり、自分で自分のことを否定的に思ってしまう」かどうかにその差が生まれてくると考える。

 

もっと細かく言うと、

① 他人から様々な否定的な評価をされた。

② ①の結果自分を否定的な評価を下してしまった。

③ ①②の環境で育ってきた結果、何事に対しても否定的な価値を下してしまう。

 

その中で自分でできることはできないだろうか。

 

 

 まず他者からの「評価」だと思う。


良い・悪い様々な形で評価してくる。


それを「受け入れる」のではなく「受け止める」のだ。


「止める」のがポイントで他人のフィードバックや評価を聞かないことではない。

「受け止めて」自分に取り込むか捨てるか、原動力にするなど様々な選択肢ができるからだ。



となると、次は「自分の否定的」な評価だ。


自分を責めたりしてしてみたり、過小評価してみたりと誰にでも経験のある事ではないだろうか。


問題は、責めて終わり。過小評価して終わりにしてしまうことだ。


ここで止めてしまうと厄介なことになってくる。

それが続けば精神的に病んだりしてしまうのだろう。


責めてもいい。過小評価してもいい。

その次にそれを自分から引き離してみる。

具体的にはノートに書き出してみるのがいいと思う。

ノートに「目に見える形で」引き離してみるのだ。


そこからまた、「選択肢」が増えて行くのだと思う。



それでもダメなら、


「自分が否定的な評価をしていようが、他人から否定的な評価をされようが、自分はこのままでいいのだ。」と開き直る。


「このままの自分でいいのだ。」と今の不完全な自分を積極的に肯定することだ。

今の自分に改善点や弱点などがあるにせよ、まずは積極的に肯定する。


「今の自分のままで改善なり弱点と思うことを変えていく。」のだ。


そういう意味で「このままの自分でいいんだ」と積極的に肯定していく。


初めは納得がいかなかったり譜に落ちないかもしれないがその原因は、


自分で否定的な評価をしているのが日常な人は「根拠のない」ものも含まれると思われる。

他者からの否定的な評価は「理不尽的なもの」がありそれを受け入れてしまっている場合がある。


なんか……これを意識すると自分と他者に「怒り」を感じてきたwww


だからそのエネルギーを積極的に「いまのままでもいいんだ」と自分を肯定するエネルギーに変換してゆく。





なんやかんや、

もう少し自分のなかで変化が来そうな気がする。