「出会いと別れ」 なんて言葉だ。
この季節になると流行るものがある。
かぜ。インフルエンザ。ノロウイルス。肌の乾燥。人肌恋しい症候群。
流行っちゃうんだよね。
流行るではないけど、
センター試験や受験、進学、就職・・・よく聞くやつ。
この季節からなんか「おセンチ」にならん?
親しい人が旅立ったり、自分が旅立ったりする。
友だちと遊んで車で帰る時が一番寂しい。
基本的に人嫌いだったから今でも一人になりたいときがある。
でも、「人嫌いだった」なんて言える日が来るなんて思ってもみなかった。
出口は無いんだとばかり考えていた。
グイグイ自分のパーソナルスペースに入って来てくれたあの人のおかげかな。
自分の殻を無視して外からも中からもぶっ壊していった。
その大きなひびから自分で壊してきた。何度も壊すことを諦め壊れかけていた卵の殻にまた戻ろうと縮こまったりもした。
そのたびに、周りに「人」が現れて外から壊してくれた。
中から壊す原動力になったのは「喜び」と「楽しさ」、そして「寂しさ」だった。
帰り際の寂しさ。
それは、「もっと一緒に遊びたかった」・「またすぐに会いたい」という寂しさだった。
それが私に癒しと楽しさと喜びを教えてくれた。
最近、こう思うようになった。
出会いも突然。別れも突然かもしれない。
だからこそ「今」を生きて楽しむということ。
確かにあるのは「今」だけだ。
後で謝ろうとか、後でお礼を言おうとか、今度遊ぼうとか、
「今ではない、いつか。ここではないどこか。」from 家入一真
を気にしてばかりいて「今、目の前にあることやモノ、人」が疎かになっていた。
大切なものってなくして初めてその大切さに気付くっていうけど、俺の場合ガッツリ当てはまってるんだよね。
「いつでも遊べるから」とか「めんどくさいから」とかで片づけてたけど、「別れ」を目の前にしていっそうもっと「恋しく」なっていた。
どんなに自分にとっていかに大事な存在か。どんなに心強かったか。を思い知らされた。
だから、何もせずに過去や未来に思いを馳せることをやめた。
幸せの定義を俺は簡単に答えられる。
その答えを導きだすのに遅すぎたことや悔やむことはあるにしろそれよりも、やっぱり「今」が愛おしい。
その答えを思うにつれ「大丈夫だ。おれはやれる。安心できる。癒されてる。よし、今度は俺の番」だって思わせてくれる。