男の生きづらさってジェンダー(性)によるもの?
ジェンダー(性)。
男・女・LGBT・・・etc
知人が「男性学」という聞きなれないものの勉強会に参加して思うことがあった。
これを考える暇なんてない。その通りかもしれない。
仕事で忙しい毎日。残業。帰ったら寝るだけ。子どもの世話。・・・・あっと言う間に日が明けて日が暮れて気づけば一年経っている。
よその子どもが赤ちゃんだったのに久々に会えば学生・社会人になっていたなんてこともある。
今回はその中の「男の生きづらさ」に着目してみたい。
以前にも書いた。
男は学校を卒業して就職して稼いで結婚して定年まで働く。
女は学校を卒業して就職して稼いで結婚して子どもを産んで育てる。
私たちの多くが学生の時、夢描いていたものが学生を卒業する際に「現実」を突きつけられる。
それは不安・恐怖や期待、希望など様々な感情を伴う。
現実問題「そうしていかないと生きていけない」からだ。
だが、少し立ち止まりなぜ「そうしていかないと生きていけない」かを考えてみてもいいのかもしれない。
多くの場合、周りの人や社会やニュースで流れてくる「当たり前」を自分に当てはめて考える。そうしたほうが楽であり「社会」に沿った生き方ができるからだ。
それはそれでいいと思う。社会に自分を協調させ生きることができるから。
ただ、そこから生きづらさを改めて考えたことはあるだろうか。
これは女性の立場から見ると分かりやすいかもしれない。
女性の場合、出産や結婚で仕事を失うことであったりそれに伴う保育園・幼稚園問題。再就職への難しさなどニュースで頻繁に取り上げられている。
しかし、男性となるとそれの比ではないことは明らかではないだろうか。
最近ようやく、男女に限らず長時間労働の問題や残業問題が取り上げられているがこれだけなのだろうか。
男性は、
・強いほうがいい。
・包容力があったほうがいい。
・仕事について弱音を吐かず、お金を稼ぎ出世しよう。
・弱音を言いたいが男だから我慢すべきだ。
・筋肉だ。
・銭湯に行く際、大きいほうがいいに決まってるから自分は前を隠す。(違うか・・・)
など、女性からもまた男である「自分」にもプレッシャーを押し付け鼓舞した経験はあるだろう。
プレッシャーとまでは言われなくても、
・道路を歩く際女性を道側にそっと導く
・デートのとき男である自分が計画を立てる。
・男である自分が運転する。
・自分のムスコは女にとって大きいほうがいいに決まってる。(自意識過剰)
・男が払う。
など、意識できるものから意識してないものまで「当たり前」が存在しているはずだ。
それを他者の男に求めたり強要したり、あるいは自分が生きづらさを感じていなければ問題ない。
逆に自分が生きづらさを感じていたならば少し考えるのもいいのかもしれない。
「当たり前」を疑問に思ってみる。
・強さなんてないよ。弱いよホントは。弱音を言いたい。
・仕事や子育てにプレッシャーを感じる。辛い。
・デートだけど金ないや。どうしよう。借金するか。。。
・運転苦手だけど男だから俺がやるしかない。。。
・本当はムスコ、BiggestじゃなくてSmallerナンダヨ。。。
・将来どうなるのか不安だ。
・死にたい・・・・。
まずは自分の気持ちに素直になることから始めてみてはどうだろうか。
自分の中で思うだけなのだから体裁や他者なんて関係ない。自分が思うことを素直にそうだと認めるところから始めてみたい。
そうすることでどれだけ「社会で言われている男像」に当てはめて自分を苦しませているか感じてみる。
最悪の場合死に至ることもあるだろう。そうじゃなくとも、こころの病にかかってしまう。
そういった男性だからこそ抱える問題を改めて見つめたり、話し合ったり、新しい考え方を発見したりするのが男性学だ。
※たぶん。詳しくは知人に聞いてくれ。知人よ見ていたらコメントちょーだいな。
知人よ。これでいいんだよね。
世の男性諸君大好き♡♡♡
間違った。
世の男性諸君。
無理しないで。
もう一回言っちゃうんだから。