朝に

私たちは、しばしば無くしてから気づく大切なことがある。

 

最初からなければ良かったのかと言われればそうでもない。

 

それらが持つ、喜びやわくわくや悲しさや苦しさや憎しみや怒りを知っているから無くしたときに気づくのだろう。

 

間に合うこともあれば、間に合わないこともある。

 

あるのかないのか。

 

あのとき、「言い返していれば」今の自分は変われていたんだろうか。

 

より自分がこうなりたいと思う自分に繋がっていけていただろうか。

 

それを確かめる術はない。

 

今の選択をどう決めるのか。

 

他者にゆだねるか、どうなのか。

 

自分で決めるとしたらどうやって決めればいいのか。

 

強さ。「自分で選択する強さ」という言葉は聞き飽きていて。

 

それはどうやって身に着けていけばいいのか。

 

だれも教えてくれなくて自分で失敗し成功し決めていくのか。

 

自分の選択ばかりを優先すればどうなるのか。

 

他者を配慮して他の選択にしていくのか。

 

もう戦わなくていい世の中だと思って「自由」を手にしたけれどそうではなくて。

 

なぜ戦わなければいけないのか。

 

なぜ「武器」を手にして立ち向かなければならないのか。

 

小さい子にはファンタジーを見せて、

 

大人になったらリアルを見る。

 

同じことの繰り返しじゃないか。

 

そうやって歴史を繰り返していくのか。

 

私は「戦わなくていい」と言える人になりたい。

 

甘いって?

 

そうやって生きてきた大人たちが私は嫌いだ。

 

 


ONE OK ROCK: Stand Out Fit In [OFFICIAL VIDEO]

人はどのようにして自分の価値を決めているのか。

 

自分の価値は何で決まるのか。

 

価値なんてない。

 

価値がある・ないで判断するものではない。

 

考えたことがない。

 

様々だと思う。

 

 

最近、自分の価値についてよく考える。

今までは次の指標で自分の価値を決めてきたように思う。

 

・職業適性テスト

 

・性格テスト

 

・自分に何ができて・できないのか。

 

・自分に何があって・ないのか。

 

・自分で様々な状況から決めている。

 

・他者から自分のことを価値を良い・悪いと言われた。

 

 

自分で自覚していたり他者から言われたり何らかのツールを使って「目に見えない価値」を目に見えるものにして指標とし努力してきた。

 

 

これらのツールはとても役立つ反面、自分が思っている結果とそうでないときに「価値」が揺らぐという脆さも持ち合わせていると思う。

 

例えば、弁護士になりたくて職業適性テストや性格テストを行うとする。

その結果、「適正」ではないと出たとする。

 

あなたならどうするか。

 

①適正ではないのだから諦める

 

②適正でなくても努力する

 

どちらにせよ、「適正ではない」とでたときに自分の「価値」が揺らぐのではないだろうか。

 

すぐ立ち直る人もいれば、自分を否定し傷ついてしまう人もいる。

 

「この差はなんなのか」

 

わたしは、「自分が自分でいることを否定されたり、自分で自分のことを否定的に思ってしまう」かどうかにその差が生まれてくると考える。

 

もっと細かく言うと、

① 他人から様々な否定的な評価をされた。

② ①の結果自分を否定的な評価を下してしまった。

③ ①②の環境で育ってきた結果、何事に対しても否定的な価値を下してしまう。

 

その中で自分でできることはできないだろうか。

 

 

 まず他者からの「評価」だと思う。


良い・悪い様々な形で評価してくる。


それを「受け入れる」のではなく「受け止める」のだ。


「止める」のがポイントで他人のフィードバックや評価を聞かないことではない。

「受け止めて」自分に取り込むか捨てるか、原動力にするなど様々な選択肢ができるからだ。



となると、次は「自分の否定的」な評価だ。


自分を責めたりしてしてみたり、過小評価してみたりと誰にでも経験のある事ではないだろうか。


問題は、責めて終わり。過小評価して終わりにしてしまうことだ。


ここで止めてしまうと厄介なことになってくる。

それが続けば精神的に病んだりしてしまうのだろう。


責めてもいい。過小評価してもいい。

その次にそれを自分から引き離してみる。

具体的にはノートに書き出してみるのがいいと思う。

ノートに「目に見える形で」引き離してみるのだ。


そこからまた、「選択肢」が増えて行くのだと思う。



それでもダメなら、


「自分が否定的な評価をしていようが、他人から否定的な評価をされようが、自分はこのままでいいのだ。」と開き直る。


「このままの自分でいいのだ。」と今の不完全な自分を積極的に肯定することだ。

今の自分に改善点や弱点などがあるにせよ、まずは積極的に肯定する。


「今の自分のままで改善なり弱点と思うことを変えていく。」のだ。


そういう意味で「このままの自分でいいんだ」と積極的に肯定していく。


初めは納得がいかなかったり譜に落ちないかもしれないがその原因は、


自分で否定的な評価をしているのが日常な人は「根拠のない」ものも含まれると思われる。

他者からの否定的な評価は「理不尽的なもの」がありそれを受け入れてしまっている場合がある。


なんか……これを意識すると自分と他者に「怒り」を感じてきたwww


だからそのエネルギーを積極的に「いまのままでもいいんだ」と自分を肯定するエネルギーに変換してゆく。





なんやかんや、

もう少し自分のなかで変化が来そうな気がする。

 

いくじなし

意気地なしなところがある。

 

「弱さのテスト」と名を打ってブログを書き公表し、

Facebookに投稿したのに自分の内面を「晒してしまった」と後悔というか「怖く」なった。

 

なぜ怖くなったのだろう。

 

他人からの「評価」を恐れているからか。

 

受け入れてもらえないことに対しての「恐れ」か。

弱さのテスト

私は今、頭が混乱している。

 

何が分かり何が分からないのかがわからない。

 

がんじがらめの状況だ。

 

ああ、・・・・。 

 

混乱。

 

ぷしゅー。

 

 

違うんだ。

 

違うんだ。

 

違わない。

 

いや・・・・。

 

まあ、この投稿をしてみて自分の気持ちを「発表したらどうなるか」を今は知りたい。それだけだ。

 

ここからは、私の「弱さ」「劣等感」について書く。

ただそれだけだ。

それだけ。

今はそれしかできないの。

 

・他人が怖い

※否定されるのが怖い、評価されることが怖い。変だ・おかしいと思われるのが怖い。

 

・人前で何か話したり、自分の意見を言うのがこわい。

※声や手が震えるのが嫌だ。あるいは、それを悟られるのが嫌だ。

 

うつ病社会不安障害だ。

※病気だと知られるのが怖い。社会から孤立しているのがいやだ。「普通」に人と話せなかったりする。お金を稼いでいないのが恥ずかしいし自己嫌悪だ。お金が欲しい。

 

・仮性包茎

 

・毛深い

 

・筋肉がない

 

・ぶちゃいくだ。

※半分はイケメンだ。

 

・女々しい部分がある。

 

・他人と違うことが怖い

 

・弱さを認められない。弱さなの?ってところもあるがそう「感じている」。

※キレやすいところ。精神的に強くないところ。他人が怖い。「普通」のことが「他人と比べて」できないことがある。

 

 

ふう。

 

とりま、こんな感じっす。

GAY術 BABY

 

いやはや、Facebookで先日カミングアウトしましたがこんなに反響があるなんて思いませんで、何かしたっけかなくらいに驚いてます。はい。

 

暖かい言葉を頂いて感動しました。

 

まあ、そもそも俺にとって「男が好き」なことは「当たり前」なわけで。

 

批判する方々がいても俺は「存在」します。

 

他人から「存在」を「承認」されなくてもそれに関わらずに、「俺はここにいます。」

 

しかし、今の考え方になったのは最初からだけではありませんでした。

 

 

思えば、中学時代は

 

「女っぽい」

「オカマっぽい」

 

といわれ傷つくことを恐れ愛想笑いでやり過ごしていたんですね。

 

それがきっかけで自分は「おかしいんじゃないか」と思うようになりました。

 

人は「他人と比べて」なにか劣っていたり、違ったりするとそう思ってしまうみたいですね。

 

今思えば、一人一人が違っていて当たり前なんですけどね。

 

当時も、繊細で純粋だった私は傷ついたわけです。

 

ですが、高校時代に出会った「ダンス」が私の世界観をぶち壊してくれたんです。

 

当時、「HIPHOP」「JAZZ HIPHOP」のクラスを中心に受けていました。

 

HIPHOPは男の先生。JAZZHIPHOPは女の先生。

 

HIPHOPは分かりやすくいえば「エグザイル系」。

JAZZHIPHOPは「安室奈美恵系」。

 

そのなかにどちらも「女性的」なしぐさやポーズを取り入れられていました。

 

当時「男ぽっさ」を追及していた自分には「嫌悪感」や「恥ずかしさ」があり、よく先生に「そうじゃない」と言われていた記憶があります。

 

あるとき開き直って求められていた「女性的」なポーズや動きをしてみたわけです。

 

そしたら「ゆうたいいじゃん。」「それそれ♪」とほめられて戸惑いと嬉しさを覚えました。

そこからダンスにはまっていったんですね。

 

ダンスには「個性」が求められます。

 

「その人」らしさが出ているほうがよかったわけです。

 

それまで悩んでいた「男らしさ、女らしさ」から解放されたんです。

 

「自分」でいいんだと。

 

それを認めてくれる世界があるんだと。

 

話がまとまらない。

 

終わり BABY。

夢とか努力とかやりたいこととか

 

 

生きていてこの言葉に出会わない人はいないだろう。

 

「夢をもって努力しなさい」

 

「夢じゃない目標と言い換えなさい。そして努力しなさい」

 

「やりたいことをみつけて努力しなさい」

 

と大人はいう。

 

ものすごく勝手すぎる言葉だと思う。

 

それは大概が「学生までの話」で終わるからだ。

 

社会人になれば「働きなさい」「あなたの為を思っていってるのよ」「将来のことをよく考えなさい」

 

と言葉を変え子どもに放り投げる。

 

大人は何をしてほしいんだ。

 

放り投げて「自立」させるのが目的だろう。

 

「自立」。

 

この言葉はいいことだと思う。

 

俺にとっての「自立」とは、

 

「自分で進む道を選択出来てきること」だ。

 

「自由」とも似通った意味を持っていると考える。

 

だから、自立してほしいなら我々大人が様々な世界を見せることが重要だと考える。

 

幼稚園・学校・会社・趣味の世界だけがすべてではないことを示し子ども自身に多くの選択肢を与えることが大人の役目だと最近思っている。

 

やりたいことが分からない。

 

大いに結構だ。

 

選択肢が多すぎて選べない。

 

大いに結構だ。

 

そこには「選択肢の多い小ない」の違いだけだと思う。

 

様々な経験をさせ自分と向き合わせる。

 

「あっ、これかな」で初めてもいいと思う。

 

やりたいことが多すぎる。

 

すべてやればいい。

 

二兎を追う者は一兎をも得ず」私はこの言葉が大嫌いだ。

 

今現在、4つのことを並行してやっていて結果がどうなるのかわからないが「やりたいことはやりたい。」

 

それでいいじゃないかと思う。

 

 

そして「夢・努力」という大人がいう言葉はあまり信用していない。

 

それを語る大人が全く幸せそうではないからだ。

 

「仕事やだ。大人の世界はなと説教を始める」

 

 

その言葉よりも、

 

夢→ 興味があること・やりたいこと・鳥肌が立つこと・感動すること・面白いこと

努力→ 繰り返すこと・習慣づけること

 

と説明してほしかった。

 

これは私の独断と偏見でしかないが、もっと具体的な言葉で私を導いてほしかった。

 

子どもの頃、「こんな大人になりたくないな」と思っていた自分に今なっていないだろうかと自問自答している。

そうだ。24時間遊べる体つくりをしよう。

 

どうも。

 

ご無沙汰しています。

 

先日無事に26歳の誕生日を迎えました。

 

まさか26歳の自分が無職だとはだれが予想していたでしょう。

 

今日も安定して無職でやんす。

 

 

最近おもうことがあるんです。

 

 

「体力が落ちたなあ」と。

 

年齢のせいと日頃ごろごろしているのが原因だと推測しています。

 

皆さんはどうですか。

 

 

「昨日、俺オールしちゃってさあああ。」

「昨日、寝てないんだぜ」

 

 

的な、聞いてもいないことを他人から言われた経験はないですか?

 

 

それを言われたとき「うぜえな」「寝なくてこの人頭おかしいよな」とか思っているわけなんですが、「時間」って「資産」すよね。

 

ぷぷぷぷぷぷ。

 

どっかの啓発本読んでんじゃねえぞと。

 

 

でも、今まで遊べなかったから「体力」が欲しいんですね。

 

「遊ぶ」のにも体力がいるわけで、「疲れにくいからだ」を作るのは「余裕」を作ることだと思うんです。

 

余裕がないと、イライラするし眠いし楽しめない。

 

だから体力をつける。

 

けど、おれ。運動きらいね。

 

筋トレ・走る。クソくらえね。

 

そこでおもいついたのは「エクササイズDVD」を使うということ。

 

自宅でできてお金はDVD代だけ。

 

なんてこった。

 

明日から始めます。

 

今日からしろって?

 

嫌です。

 


Beyonce - Let's Move! 'Move Your Body' Music Video Official 2011